こんにちは、mihomihoです!
岩本さん(左)と森本さん(右) |
早速ですが、
みなさんは、カンボジアの森の中で一から村をつくってしまった日本人がいることを知っていますか?
こう話し出すと、テレビ番組の「○○○ところに日本人」のようですが(笑)、私は友人から初めて聞いたとき、思わず「はっ!?」と返してしまいました。
まず、「村を作るって、可能なの?(しかも森だったところに)」と思いましたし、
「なんでカンボジアなの?」とも思いました。
私がカンボジアに住んでいたとき、偶然その友人がそこを訪れる予定があるというので、実際について行って見てみることにしました。
今回は、その創設者である、森本喜久男さんとの会話を通して、ものづくり、人生、自然について考えてみたいと思います。
カンボジアのシェムリアップ。
アンコールワット遺跡群で有名な一大観光地からトゥクトゥク(東南アジアなどでよく見かける三輪車タクシー)に揺られて1時間半。
アンコールワット遺跡群で有名な一大観光地からトゥクトゥク(東南アジアなどでよく見かける三輪車タクシー)に揺られて1時間半。
目的地に近づくほど、「なんて遠いんだ….なんでこんなところに….」と疑問が湧いてきて、私の心は、すっかりあのテレビ番組のリポーターのよう。
私たちが訪問した村を運営するのは、森本さんが創設したIKTT(クメール伝統織物研究所)という団体。
そう、ここは、カンボジアの伝統織物の復興活動の拠点なのです。
森を切り開いて村をつくっちゃった
元々、着物をデザインする仕事をしていた森本さん。
1980年ごろ、縁あってタイに移り、カンボジアから逃れてくる難民をサポートする団体で働くことに。そこでのタイの織物との出会いから、数年後に独立し、タイで手織物を通した農村開発のプロジェクトを始めたそうです。
1980年ごろ、縁あってタイに移り、カンボジアから逃れてくる難民をサポートする団体で働くことに。そこでのタイの織物との出会いから、数年後に独立し、タイで手織物を通した農村開発のプロジェクトを始めたそうです。
そして1995年、内戦によって継承の危機にあった伝統織物を復興すべく、カンボジアにて活動をスタートし、2002年、5haの土地から「伝統の森」を創りはじめたのです。今では、この森は22haにもなり、現在30世帯のカンボジア人家族が暮らし、働く場になっています。
ものづくりは自然から
伝統の森は、日常的な生活が営まれる村。だからあらゆるものがここで賄えてしまうんです。
それぞれの家族が住む家はもちろんのこと、畑、小学校まで!
「ものをつくるということは『自然環境から』」
自分たちが食べるものだけでなく、織物に必要な材料は全てここで育てています。
バナナの葉は細かく切って、緑色に。アーモンドの葉は黒に。
ここには無駄にするものがないのだそうです。
「自然のものだから、5~10年経って生きてくる色もあります。それは、『色あせる』ということではなんです。」
村を案内してくれた岩本さんは言います。
バナナを切る村のお母さんたち |
岩本さん 基本は自然に逆らわない土づくりからやるんです。育たないものは無理して作らない。例えば、蚕が死んだからって悲観しない。そうしていると、心も穏やかになるんです。
ここで育った自然資源は、住民である職人たちの手によって、世界でも一目置かれる美しい布となって人々を魅了し、住民たちの生活を成り立たせる収入源となっていきます。
いいものを作ろう、そこから
この村の住民は、皆移住してこの土地に根付いた人々。何もないところから始まって、今では、10年以上住み続け、勤続する人が100人を超えたそう。
さらにすごいのは、何と言ってもここで作るモノの質の高さ。
評判は口コミで世界中に広まり、年間1500人が世界中から訪れ、あのラルフローレンや京セラの稲森さんもはるばる会いに来たそうです。
森本さんは、
「概念から入っていないのさ。エコビレッジを作ろうと思っていない。『いいものを作ろう』そこから。」
だと言います。
カンボジアでは、家族を離れ、現金収入を得るために隣国のタイや首都プノンペンに出稼ぎに行く人が急増しています。私が住んでいた地域では、地域の約4割の人が出稼ぎに行っていました。
しかし、ここに住む人々は、「より給与の良い所へ行くか」と尋ねても、皆、「行かない」と答えるそうです。
村の見学中、村の子どもたちは作業をするお母さんの横を元気に走り回ったり、仕事の様子をじっと見つめたりしていました。そして、お母さんたちも、時に手を止めて、その子どもたちの様子を微笑みながら眺めていました。
機織りをする女性とその子ども |
森本さん IKTTでは、ここで生活できる。幸せだから、みんな出稼ぎに行かないのさ。働く喜びがここにはある。お金よりも大事なものがあるんです
伝統は「つくるもの」
「伝統の森」とその名前にもある「伝統」という言葉。
さぞかし昔ながらの手法にこだわっていると思いきや、
森本さんにとって、伝統とは守るのではなく、つくるものなんだそうです。
「守ろうとすると後ろ向きになる。いいものを作っている人は、伝統を、守るものだとは言いません。日本で『後継者がいない』と言うけれど、それは若い人が興味を持つようになっていないからだと思うんです。」
なるほど、この考え方には驚かされました。
確かに、昔から受け継がれている「伝統」は、実は時代に応じて少しずつ形を変え、時には新しさも取り入れながら、人々に受け入れられてきたんですね。
ワープすればいいのさ。
森本さんとの会話から始まったこの日の訪問。村の生活、ここで暮らし、働く人々の姿を見ていく内に、ここでは、ある一つの真理を中心に物事が回っているのではないかと思うようになりました。
それは、自然の一部であるという自覚。
森本さんと住民たちのモノづくり、伝統の森の生活は、「自然に抗わず、流される」、そんな姿勢によってこそ、彼ら自身を幸福にし、この場所を存続させ、確かな価値の作品の創出を可能にしているのではないか。
そして、これは、森本さんの「人生観」も同様でした。
「植物は正直なんだよ。心があればきちんと育ってくれるのさ。人間も同じ。自分のやりたいことをやればいいのさ。やりたいことをやっているから大変だと思わない。それは、ここで仕事をしているクマエ(カンボジア人)も同じ。良い仕事をしているって分かるから続けられる。
ワープすれば良いのさ。いたくないところに居なければいい。植物も同じ。その風土に合っていれば、自然に育っていく。合わないなら環境を変えればいい」
言われてみると、外から持ってきた植物の種を撒いても、環境にあっていなければ、上手く育たないことが多いです。やがてそこになんとか根付いていくものもあれば、枯れてしまうものもある。
人間も同じだ。と言われて、はっとしました。
冒頭で、私は当初、「なぜカンボジアで村をつくることにしたのだろう」と疑問に思ったとお伝えしました。
しかし、実際にここを見て、森本さんの話を聞きながら、「別に場所なんて関係ないんじゃないか」と思うようになりました。
森本さんの根が張る場所がたまたまそこだったというだけ。
「ワープすればいい」
そこで聞いたこの一言は、カンボジアの人里離れた大自然のど真ん中に住む、森本さんという存在を妙に納得させる言葉でした。
「伝統の森」のある家の様子 |
私は、ふと、形式や概念に囚われている自分がいることに気が付く瞬間があります。
「本当は何がしたかったんだっけ?」
なんて思ったりして。
考えてみれば、それはすっごくシンプルなことだったりするのかもしれません。
このカンボジアでの生活をそのまま都会で応用することはできないかもしれませんが、森本さんと「伝統の森」との出会いは、「文字通り、自然の流れに身を任せれば、私たちが抱えているあらゆる問題って、案外簡単に解決してしまうものなのかも」と思わせてくれる、そんなきっかけをくれるものでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿